はい、栗本動物病院です。

東京都小平市の栗本動物病院です。ときどき更新しています。

診る を考える。相模原事件によせて

戦後最悪といわれた、相模原障害者施設殺傷事件から、1年が経ちました。
節目ということで、様々に特番が組まれたり、改めていろいろなことを考えた方も多かったのではないでしょうか。


犯行の当初から、犯人は「私の考える『意思疎通がとれる』とは、正確に自己紹介をすることができる人間」と定義した上で、意思疎通がとれないと犯人が勝手にみなした人に対して「生きる価値なし」と身勝手に決め付け、殺害を実行に移しています。
犯人自身が属する側=大多数と、意思疎通ができないとみなした命に対して、「価値はない」だから「奪ってもよい」と主張しているわけです。
でもね。
彼は日本語では「正確に」自己紹介できるかもしれませんが、他の言語ではどうでしょう。
文科省の発表している 世界の母語人口で上位にランキングされている 中国語、英語、スペイン語で自己紹介されたとして、「正確に」言われていることがわかるのでしょうか。
言葉が通じないことを、意思疎通がとれないとみなすのならば、そして 意思疎通がとれない命を奪ってもよいとするのならば、日本語しか話せない人は 英語話者や中国語話者から いつ殺されても文句は言えないということになりはしませんか。
他にも、障害があるとはいわれていない子どもたちだって、年齢によっては 正確に自己紹介できません。
将来できるようになる ということならば、いま意思疎通がとれず「障害者」と定義されている人たちだって、現代医学の限界上そうなっているというだけのこと。
たとえば数年後、医学が飛躍的に進んだ結果、現時点で思いもつかないような方法で意思疎通がとれるようになる可能性だって、ゼロではありませんから、現時点でできなくても、将来できるようになるかもしれない という点においては子どもたちと同じです。
そもそも、正確に自己紹介するって何?ということからして曖昧なんですから、定義が定義になっていませんね。
出発点からしておかしいわけです。


犯人の主張に、1号は人として絶対に 同意はしません。
が、言わんとすることを理解することはできます。できるつもりです。
理解した上で、視野が狭すぎる、話を一般化しすぎだ と指摘したいのです。
もっと多様さを許容できなければ、待っているのは全滅か、独裁か…
いずれにせよ、「世界が平和に」なる未来は 期待できません。

 


翻って、当院で働く わたしたち獣医師の職務。
それは、どうぶつを診ることです。
ここまで読んでいただいた方なら、曲解される方はいないと信じていますが、診る相手とは 言語による意思疎通はできないわけです。


ではどうしているのか?というと、わたしたちは全身を診て 診察をしています。
たとえば、 「足のつま先に切り傷が」と言って来院した子でも、全身を診るんですね。
目が見えにくくないかな?頭や腰に病気があってふらついてしまったのかも?体が痒くて足元に集中していなかったんじゃない?
言葉で痛みや辛さを表してくれない相手だから、読み取るためによりいっそうの努力をするんです。


傷を治療するのは 当たり前。
でも、それだけではだめなんです。
なんで傷ができたのか?
目の前の傷や、いま悩まされている症状はもちろん、その原因になっている病気がないか。
あるとしたら、どうしたら治せるか、治せない病気でも、より良い状態にしたり 進行を食い止めてあげられるか。
当院の目指す治療は、そういったものなんです。


言葉による意思疎通は、簡単でわかりやすいかもしれません。
でも、それがすべてであるはずがない。
言葉で意思疎通できなくても、もしかしたら言葉よりずっと雄弁に、そして深く。
意思疎通する方法はあります。あると信じています。
そのために欠かせないのが、目の前の一匹を 真剣に診る姿勢。
何千、何万を相手にする 公務員や企業とは違い、わたしたち臨床獣医師の手が届くのは、きっと一生頑張り続けても 千にも満たない数でしょう。
それでも、それだからこそ、目の前の一匹に 全身で向かい合っています。
言葉では聞こえない、もしかしたらまだ起こっていない、「助けて」「痛い」「しんどい」を聞くために。

 


夏休み、当院で 実習をしたい、見学させてほしいというご連絡をいただくことが増えてきました。
当院では、いっしょに働く獣医師の募集を行っています。
こんな熱い思いで診察にあたっている わたしたちにも負けないくらいに熱いあなたと、いっしょに仕事がしたいです。
われこそは!というあなたは、ぜひ、042-323-4567まで、お電話ください。
お待ちしています。


事件で失われた命と、傷ついたすべての人に、安らぎが訪れますように。